1993年12月 |
APCCIRN(Asia Pacific
Coordination Committee for Intercontinental Operations)台北会合に参加。Interop94Tokyoのプレゼンテーションを行う。 |
1994年 |
Networld+Interop94Tokyoのプログラム委員会議長(専任)。 アジアからの参加をプロモートし、韓国、香港、シンガポールなどからの参加を進める。 |
1994年11月 |
APNG(Asia Pacific Networking
Group: APCCIRNを改称)北京会合に参加。東京インターネット(株)社長として副議長となる。 |
1995年6月 |
INET95 Hawaii会合に参加。Commercial
Sessionの議長をつとめる。APNGにCommercial ワーキンググループを結成、委員となる。11月、IPミーティング神戸会合で、中国代表団を招待。
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1996年1月 |
APRICOT(Asia Pacific Internet
Conference on Operational Technologies)第1回シンガポール会合に参加。同時に、APNG/APNICの年次大会に参加。ここでAPIA(Asia
& Pacific Internet Association) の発足に向けて協議を進める。 |
1996年5月 |
APIAを会社として発足。韓国のJin Ho Hurが初代議長、高橋は当初から財政担当役員。東京インターネット(株)および日本インターネット協会(IAJ)としてAPIAの会員となる。 |
1996年7月 |
中国、北京インターネット研究所(BII、劉東社長)と提携し、INET96モントリオールで中国政府代表団と会談。 |
1997年2月 |
APRICOT97香港に参加。61997年6月 INET97クアラルンプールに参加。APIAの発足をプレスコンファレンスでアピール(www.apia.org)。 |
1997年10月 |
ChinaInet97に参加。 |
1998年2月 |
APRICOT98マニラに参加。APNG/APIA/APNICの年次大会も併催。APNICのExecutive
Councilメンバーに選出され、議長となる(2000年3月退任)。アジアにおけるドメイン名管理組織の連合体(APccTLD)を結成するための準備会合を行い、議長となる。 |
1998年5月 |
ChinaInet98に参加、アジアのインターネット商用化にかんして講演。 |
1998年7月 |
INET98ジュネーブに参加。APccTLDのワーキンググループを開催。 |
1998年10月 |
東京インターネット(株)がPSINETに買収され、PSINETアジア上級顧問となる(2000年1月退任)。
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1999年2月 |
APRICOT99シンガポールに参加。APNIC/APNG/APIA年次総会を開催。INET2000の日本招致委員会委員長として提案作成。 |
1999年6月 |
INET99サンノゼに参加、翌年の開催国となり、日本開催に関して演説。ChinaInet99に参加。 |